ライブレポート 「TQJ Poetry Reading Live」 by 村田活彦 a.k.a.MC長老


ライブレポート
TQJ Poetry Reading Live


 

都営地下鉄三田線白山下車徒歩1分のところにある老舗のJAZZ喫茶、その名も「映画館」。ドアを開けると壁には名画のポスター、ただようコーヒーの香り、真空管サウンドシステムからの調べ店のちょうど中央部、カウンター席の隣に立てられたガイコツマイクが、レトロな雰囲気をさらに醸している。

 

店内にはなぜか振り子時計がいくつあって、それぞれ勝手な時間を刻んでる。いったい今はいつなんだ、という気がしてくる。いやそもそも時間ってなんだ?

 

 

この日、店で行なわれたのは「TQJ Poetry Reading Live」。カワグチタケシ、究極Q太郎、ジュテーム北村という、東京ポエトリーリーディングシーンに深く足跡を残す凄腕人による詩の朗読会。これがどれほどの衝撃か、わかりなさるか、お若いの。思えばこの三人が集うのは13年前、中野VOW’S BAR でのライブ以来のこと。その時は畳8帖の部屋に客がひしめき合うという、そりゃもうディープな盛り上がりだったのじゃよ…。

 

閑話休題。

 

まずライブの口火を切ったのはこの日の主催でもあるカワグチタケシ。最初に『幾千もの日の記憶』(究極Q太郎)、続いて無題(なぜ殺してはいけないか)』(ジュテーム北村)と、共演者の作品を朗読。3作品目の都市計画/楽園』(カワグチタケシ)が終わったとき、ああ、やはりこのライブは間違いない、と感じられた。三つの作品の言葉が、カワグチさんの声で読まれることで響きあい、ひとつの詩のように聞こえるのだ(そもそもこのカワグチ作品は、ジュテーム作品のオマージュがある)。

 

カワグチさんの朗読はテンポやトーン、ブレスの間隔が一定を保ち、落ち着きや冷静さを感じる。そしてその朗読スタイルが自身のテキストとも非常にマッチしている。直感的に、気象予報士のようだ、と思った。季節の移り変わりや目に映る光景を、情緒に流されることなく、科学的に分析的に描いていく。だからこそ、その時のわたしたちの心理的な揺れ動きを、何よりも的確にすくい取ってくれる。

 

続く究極Q太郎さんパートへのブリッジとして、イタリアの詩人ウンベルトサバ第一のフーガ(二声による)須賀敦子)を人で輪読。スタイルの全く違う三人の声が、三重奏のように調和する

 

そしてQ太郎さんのターン。手にはセブンイレブンのビニール袋。その中から取り出した、普通紙コピー&ホチキス止めの無造作すぎる手製詩集。いや、正確には「自分の詩集をなくしたので、カワグチさんから借りました」と言っていたのだけれど。そんな天衣無縫の構えから、繰り出される言葉の力強さといったら

 

子どもの音読のように逐語的に、ポツリポツリと始まった朗読はやがてうねりを帯び、太い唸りとなっていく。「浄瑠璃の声に似ていると言われたことがあります」と本人がおっしゃるとおり、体の芯からビリビリ震わされるような波動。宮沢賢治『春と修羅』に至るころには、ほとんど人知を超えた存在さえ思わせる響きになっていた。

 

「久しぶりなので朗読のコツがわからなくなった」と言っていたけど、こんなリーディング、ほかに誰ができる? 知的で無骨で、それでいて「うじゃらか、ほい、ほい(『愚の骨頂』)と戯けてみせる。チャーミングとはこのことか。

 

そして三人目、ジュテーム北村の登場。両手の親指と人差し指にそれぞれ指サックをはめ、しかもその指サックにマジックで「ジュテ」とサインが描いてある。聞けば、「(詩の)紙をめくり間違えないように」だとか。白いベレー帽には、イベントフライヤーから切り取られた「TQJ」ロゴが貼り付けてある。

 

「趣味で詩の朗読やってます。詩人じゃなくてごめんね!」パンチの効いた挨拶から始まり、一発目は西脇順三郎『天気』。そこから始まるノンストップ朗読リミックスジャズの演奏のように変幻自在に緩急をつけ調子を変え、客席の耳すべてをかっさらっていく。

 

大岡昇平、島崎藤村、宮沢賢治カオリンタウミ、ボブ・ディラン、谷川俊太郎、サイモン&ガーファンクル、忌野清志郎、三角みづ紀、不肖村田、そしてリドリー・スコット『ブレード・ランナー』まで。もちろん『ひきがえるのブルース』(超かっこいい!)などの究極Q太郎作品、『fall into winter』『水玉』といったカワグチ作品fall into winter』『水玉』はこの日、期せずしてカワグチさん本人も朗読していて、ふたりの朗読の手触りの違いが楽めることとなった)

 

ジュテーム自身のオリジナル作品織り込んでくる。いくつもの作品群を朗読でカットアップし、リミックスするいつものジュテームスタイルだけど、こんなにロングバージョンで聴けるとはなんたる至福だろう。個人的には、たしか2000年のウエノポエトリカンジャムで初披露の『無限軌道』を、2017年バージョンで聴けたのが感無量だった

 

そして最後は『星めぐりの歌』。そう、Q太郎氏が朗読した『春と修羅』からの宮沢賢治つながり。こうして、三人の朗読がひとつの交響曲のように鳴りあってフィナーレを迎えた。

 

 

濃密な時間を終えて、ほおっと息をつくと、耳に振り子時計の音が戻ってきた

 

時間ってなんだろう。過去から未来へ流れる川のようなものを、私たちは想像しがちだ。しかし、それが時間の本質だろうか。

 

たとえばこの日、TQJの三人が聞かせてくれたのは、90年代後半から続く日本のポエトリーリーディング・ヒストリーの一端だったり、現代詩のアーカイヴだったりした。古典があり、久しぶりに聴く作品があった。だけど、聴き終わったあと耳に残ったのは、歴史でもなく懐かしさでもない。それぞれにタフでクールでお茶目な三人の、いまの息づかいだった。

 

時間の本質は「今」この瞬間。そのことを、TQJから詩と朗読教わった。

 



 

追記:現在入手困難な、究極太郎さんの手製詩集、筆者が持っております。全力でオススメします。読みたい方はお声かけください。

 

(村田活彦 a.k.a.MC長老)